もんじゅ訴訟をはじめとする、「脱原発」「原発の危険性」を唱えた訴訟。受刑者と子どもの面会を禁止した規則の撤廃や、革手錠施用の違法性を認めさせるなどの、監獄内の人権に関する訴訟。盗聴法(通信傍受法)反対活動と、共謀罪・依頼者密告制度反対活動など。弁護士・海渡雄一氏がかかわってきた数多くの訴訟や活動は、「この社会で一市民の人権が保障されるためには、日本の法制度のメカニズムのどこをどう改革・改善しなくてはいけないか」について考え、世に問い続けてきた闘いの歴史にほかならない。
「人権、あるいは自由(自由権)」を確立するための市民の闘いを、法律の専門家としての立場から支えてきた海渡氏。氏を知る弁護士は、その特徴をこう話す。「彼の法廷での主張は非常に強い。闘争的にも映る。勉強熱心だから知識も豊富。例えば原発に関する科学的で専門的な知識も頭にたたき込んでくるので、論にすきもない。しかし彼の語り口は、実に柔らかい。いろいろな主張を柔らかな語り口で繰り出すので、相手方までがつい聞き入る。それが彼の持ち味。彼はどんな世界でも、出ていった先では必ず一目置かれる存在になっている。こんな弁護士は、ほかにあまりいない」と。
海渡氏のかかわってきた訴訟や活動をたどると、「血気盛ん、辣腕無双」といった印象だが、その人物評はむしろ、穏やかさや柔らかさが勝る。「人権派の海渡」として、その名を知られる氏の、これまでを追う。
高校二年生で「公害問題を扱う弁護士になる」と決めた
1955年、兵庫県伊丹市生まれ。小学生時代は、「例えば夏休みなら、セミ捕りばっかりしている子どもだった」という。山を走り回り、空を眺め、自然を愛した海渡少年の将来の夢は、科学者だった。
「灘中学・灘高校では地学部天文班に所属して、天体観測・山歩きなどフィールドワークもたくさんしました。楽しかったですねぇ。ですから高校ニ年生までは、理系に進学しようと思っていました。ところが地学部に度々遊びに来ていた東大理学部の先輩と話すうち、『これはかなわない』と。思い描いた理学部の勉強内容とも違うようだし、こりゃ進路変更だと思いましたね」
灘高といえば国内トップクラスの進学校。一方で自由な校風やユニークな教育でも知られる。
「公害問題に熱心に取り組む先生がいらっしゃって。テーマを生徒自身が決めて、毎週、研究発表をしていました。僕は伊丹市に住んでいたので、伊丹空港付近の飛行機の騒音問題について友達と研究しました。取材に歩き、飛行機の騒音をステレオ録音し、教室でオーディオ装置から音を聞かせて皆を驚かせたり。理科系の授業なのに社会問題を扱う、面白い授業でしたね」
海渡氏はこうした体験を通して、高ニのときに理系から文系に進路を変更。東大文Ⅰ を目標に、「公害問題をやる弁護士になる」と決めたという。...(以下略)