元・地検特捜部検事・矢田次男氏。いわゆる「ヤメ検」は、検察庁との折り合いが悪くなるケースも少なくない。「古巣に対して恩をあだで返すのか」という批判を受けることもある。しかし矢田氏の場合は、違った。例えば検察や警察がある事件で非難されると、マスメディアを通じて説明ができない彼らに代わり、スポークスマン的な役割を果たしたことも、ずいぶんあったからだ。「テレビ番組や新聞などで、検察や警察の悩みのような部分を代弁したこともありました」と矢田氏。元・地検特捜部検事ゆえに、「事件の筋読み、展開予測、それに応じた弁護方針を立てること」にたけ、辣(らつ)腕弁護士と呼ばれる矢田次男氏の足跡をたどる。
政治家へのステップとして弁護士を目指した高校時代
三重県菰野町。鈴鹿山系東山麓(ろく)の自然に恵まれた土地で、矢田氏は生まれた。決して平凡とはいえない「ドラマチックな人生を歩んでいると思いますよ」と、矢田氏。
「恥ずかしい話をみんなしてしまいましょう。私の子ども時代は社会全体が貧しい時代ではありましたが、その中でも私の家は特に貧乏でした。しかもおやじは酒ぐせが悪く、従順なおふくろに対して、カッとなるとつい手をあげ、怒鳴ったり、物を投げつけたり。夜中、おふくろの背中におぶわれて逃げた記憶が何度もあります。その音や声はいいようのない恐怖でした」
矢田氏は四人兄弟の末っ子。姉二人と兄がいる。おとなしい兄に比べると「血の気が多かった」という矢田少年は、父に対してやがて殺意とまではいかないまでも、それに近い気持ちすら抱くようになった。
「中学生のころは『このおやじがいなくなれば、家族は安心して暮らせる』、そう考えていました。恐怖心が心の中で渦巻く子ども時代でした。高校へ入学したころから、自分自身や環境を次第に冷静に見つめられるようになり、家庭崩壊という最悪の事態は避けられました。しかし、『なんでウチだけこんな目にあうんだ』と、世の中全体に対するいいようのない不満もありました。そうした中、高校三年生のとき、『政治家になろう』と決意。自らの置かれた環境を冷静に分析できるようになって、『こんな世界(家)を飛び出して劇的に自分の人生を変えたい』『親父がああなのも貧乏だからだろう。政治家になって貧乏をなくしたい』と子どもながらに考えたわけです。じゃあ政治家になるには、どんな職業から始めたらたどり着けるのか? 社会的地位やお金も必要なんじゃないか、自分でもそれができそうな職業は何だろう。それで自分なりに考えてたどり着いた職業が弁護士でした」
恐怖心という「暗い思い」にとらわれてはいたが、決して内にこもるタイプではなかったようだ。中学三年生から高校にかけては、ショペンハーウエルの哲学書やウパニシャッドなどの書物を読みふけり、田舎で議論に付き合ってくれる人はいないことから、地元の宗教団体支部へ「真理とは何か。神は存在するのか」といった議論をふっかけにいくという、ユニークな少年だった。
「ちょっと読みかじったことを、人に自慢げに話すような子ども(笑)。昔から議論好きだったんですね」
弁護士から検察官へと変わった目標
将来の目標を高校生で見つけた矢田氏は、中央大学法学部に合格した。
「しかし、そんなおやじが金を持っているわけもありません。叔父に頼み込んで、金を出してもらって入学しました。目標ははっきりしていたので、奨学金とアルバイトで生計をたてながら、司法試験の勉強は大学一年生から始めました。ところが当時は、学生運動が盛んだった時期。私もそんな環境に影響されて、学生時代は右に振れたり左に振れたり。アルバイト先で組合活動のようなことをしたり、右翼団体のような学生組織に入ってみたり。そんな時期を経て、司法修習生になったころには、世の中は自分が思い描いてきたようなもんじゃないと分かってきまして。つまり、弁護士になっても社会的地位を背景に何でもできるわけではない、それほど金持ちになれるわけではない、そもそも政治家に必要な金は額が違う、とか。そんな折、司法研修所の検察教官から『検事はいいぞ』と、特捜部検事の世界の話を聞きました。お恥ずかしいことに、私自身の心の中に権力志向的な部分があって、政治家になりたい夢は持っていたものの、簡単になれるわけじゃないと分かったら、逆に『検事になって、(悪い)政治家を捕まえるのもいいか』となったわけです(笑)」...(以下略)