法曹界において、常に〝異端〞と表される村尾龍雄は、事実、際立った事業展開をしている。90年代半ば、まだ誰も中国のここまでの台頭を予想していなかった時期に、いち早く上海に乗り込み、弁護士業を起点にビジネス領域を拡大してきた。法律・会計・税務に関するワンストップサービスを提供し、現在、村尾率いるキャストグループは、中国ビジネスに従事する日本企業を複合的にサポートする専門家集団として、その名を馳せている。相対していると、まごうことなき「起業家」という印象。リスクに怯えず、大勢にも流されない。転換期にあるこの時代、村尾のタフネスな生き方は、ひとつ大きな指針となる。
代々、医者の家系でして、両祖父、父を始め叔父、叔母など親戚もみな医者ばかり。だからといって、医者になれとか、勉強しろとか言われたことがないんです。父は、もともとジャーナリスト志望だったのですが、親から泣いて頼まれて医者になったという経緯があるので、僕にはむしろ「医者にならなくていい。お前の自由にしろ」と。
だから本当に自由満喫で、高校2年になるまで学校の勉強をまともにしたことがないんです。それよりも、周囲を笑わせるランキングみたいなものに、命かけていました(笑)。関西ですからね。いつもネタを考えているわけです。例えば、ジャンケンで負けたら床に落としたパイナップルを食わなきゃいけないとか、自分で自分を落として周りを笑わせる。授業中もそんなモード。腕白というのとは違うんですけど、笑いを取る点においては上位でしたね。
あとはスポーツです。中学がテニスで、高校に入ってからはテニスと陸上を掛け持ち。僕が通っていた西宮市立の学文中学は、当時スポーツが強くて、僕らの年は地方大会止まりでしたけど、1つ上の先輩はテニスで全国優勝しましたから。高校で、1500mを走ってみると、陸上部員よりも速いっていうんで、3年の11月まで駅伝大会などに駆り出されていました。去年からトライアスロンに挑戦していますが、僕にとってスポーツは、いい仕事や勉強を続けるための気力づくりに欠かせないものなんです。
もうひとつ、夢中になったものがある。それは、ペルーやボリビアといった南米の短波放送の聴取。「普通には理解できないでしょうけど」と本人が言うとおり、かなりマニアックな世界だ。雑音を極力カットできる性能のいいラジオを使い、アンテナを工夫し、自分で放送をキャッチしてひたすら聴く。これも欠かせない毎日の楽しみだった。
フォルクローレの音楽にはまったのと、南米・スペイン語のべらんめぇ調にも聞こえる、あの発音が耳に心地良かったんですよ。短波が電離層で反発する絶妙な時間帯があって、それが始まるのが夕方5時くらい。南米の東側からブラジル、ペルー、ボリビアの放送局と時間を追って順に聴ける。放課後は部活やってるでしょ。時間が近づいてくるとソワソワしちゃって、着替えもせず家にダッシュで帰る。内容を理解するために、参考書でスペイン語とポルトガル語を一生懸命勉強しました。で、各放送局に投書する中、エルサルバドルで活動していた反政府ゲリラの放送局にも手紙を送りまして。「あなたたちの放送に感動した。勝利を祈っています」。別に感動していないのに(笑)。そうしたら、つたないスペイン語で書いたその手紙が彼らの機関紙に紹介されて、送られてきた。こんな経験、きっと日本人で唯一ですよ。
そんなことばかりやっているから、成績が悪くなっちゃって。語学は得意でしたけど、数学なんて450人中430番。中学生の頃は地頭で勝負できますが、高校はそうもいかない。2年生の夏休み前、進学を考え始めた時期に、先生から「どこの大学も無理だ」と言われて、突如奮起して勉強するようになったのです。その時、夜に時間を取るラジオ聴取はすっぱりやめて。そこから半年で、学年1番になりました。1日10時間、体力に任せて死ぬほど勉強しましたから。先生方もびっくりで、「こいつ、勉強できたのか!」。3年生からは〝できる人〞に昇格し、周囲に教えるようになっていました。
充足の大学生活を経て働きながら猛勉強。司法試験合格を目指す
現役で有名私立大学に受かったものの、関西で一番の学校に行きたかった村尾は1年浪人し、京都大学経済学部に進学。結果、6年間在籍するのだが、1年の時には南米へ放浪の旅に出かけ、その後は、学生プロレスや陸上に全力投球……実に雄健で、エピソードにも事欠かない。村尾には、1日の時間が人の何倍もあるかのように思える。
南米へは一人旅です。僕がずっと聴いていた放送局を3カ月かけて巡る旅。ペルーのリマから入り、チチカカ湖に行くと「Ondas del Titicaca」、クスコの遺跡を見ながら「Radio Cusco」にも行く……という具合で、謎のスペイン語を駆使しながら50局ほど回りました。ボリビアでは、チャランゴ奏者として有名なエルネスト・カブールの演奏を聴いたり。どこでも親切にされて、本当に楽しかった。「俺はペルー人の生まれ変わりだ」くらいの勢いでしたが(笑)、やっぱり、僕は第三世界志向なんだと。長時間移動するバスは、途中でゲリラにつかまる可能性があると聞いても怖くなかったし、汚いところでも平気で眠れる。そこにストレスを感じない自分がよくわかりました。でも、この旅行で南米熱はおしまい。これでもう思い残すことはない。気が済んだのです。...(以下略)